こんにちは、松永昂史です。

I.CEBERG ではコラージュ的な表現を開拓しつつ、WOWではディレクター/モーションデザイナーとして活動しています。個人では学生時代から「釣部東京」という制作チームを続けていたり、近年は武蔵野美術大学で非常勤講師もしています。

「その時お話ししたい方とお話しする」をテーマにしたシリーズ、I.CEBERG TALK を始めることになりました。

初回ゲストは、モーショングラフィックススタジオSIGNIF を率いる荒牧康治さん。
Aramaki Koji / 荒牧 康治

以前から荒牧さんが手がけている作品を追いかけてはいたものの、じっくりお話しするのは今回が初めてです。互いのルーツや制作の背景を中心に、二人の共通点や相違点を行き来しながら、自由に話しました。

全編はSpotifyでの音声配信にて。

前編

後編

ここでは、その一部を抜粋してご紹介します。

今回はSIGNIFのオフィスにお伺いしました。

「それぞれのルーツと共通点」

松永:
荒牧さんの作品を見てて引っかかっていたのは、言い方がちょっと良くないかもしれないんですけど。

荒牧:
全然いいですよ。

松永:
綺麗すぎないというか、ルックの尖りを優先して、納品的なところを守りすぎてないというか。例えば圧縮にめっちゃ弱そうだなとか(笑)。そういうところが好きなんですよね。一般的な映像畑のいわゆる綺麗さ、例えばグレーディングの情報をなるべく残そうみたいな、いろんな正しいワークフローがあるじゃないですか。そこで止まらない感じ? これ、大丈夫ですかね?(笑)

荒牧:
全然全然、でもだいぶ丸く言ってますよね(笑)。

松永:
僕はそういう脱構築というか、固定概念をいったん無視して、良さや面白さを優先するっていうのが好きで。そういう違和感や引っ掛かりがあって気になっていました。

荒牧:
そこら辺は意識的っていうと言い過ぎかもしれないですけど、自分も松永さんに引っかかりを感じてるところと似ていて。フォーマットや、ルール設計みたいなのって、それはあるだけで、逸脱することが悪いとあんまり思ってなかったりもするんですよね。だから全部ルールを守って作っても、結構つまんないなって思っちゃうんで。自分の色で作れたり、やりたいことをできる時はそういうルールは理解した上で、守る・守らないも表現の一個として落とし込む、みたいな考え方で作ってる感じはしますね。

松永:
作法として分かってはいるけど、従わないこともするという。

荒牧:
フォーマットに従いすぎると、自分の中での当たり前の制約みたいなものがどんどん強くなっちゃうのが結構きつくて。あえてちょっとバカになった方がいいかな、と思ってやってるとこあります。これ絶対圧縮したらビットレート的に無理なんだけど、まあでも「伝わるか」みたいな(笑)。

松永:
そういうところが僕の中で「異質さ」っていう言い方にしてるんですけど、「異質さ」があって。僕は自分をモーショングラフィックスの人とはあまり思えていなくて、映像畑にいれてる感じもあんまりしてないんですけど、見渡した時にやっぱり荒牧さんの作品が目立って見えるというか、他と違う感じがして。それって結構重要なところというか。

荒牧:
そうですよね。松永さんは元々はグラフィックデザイナーですもんね。

松永:
一応、大学卒業後に広告系のグラフィックがメインのプロダクションに入って。そのへんの広告物や印刷物のデザインをしてたので、当時はイラレを一番使ってました。その流れで Cinema 4D を使ってみたら、「イラレの奥行きと時間がある版だ、結構いいな」みたいな感じでCGに移行していきました。

荒牧:
自分が学生時代に影響を受けた映像って、やっぱり Vimeo が大きくて。いかに映像的なトンチを利かせるか、みたいなのがモーショングラフィックスの面白さの要素としてあった気もするんですよ。例えば TAKCOMさんも、アンビエントオクルージョンだけで映像を作ったりしてて。そういう普通だとやらないことに挑戦するのが自分の中で「おもろいな」と思ってモーショングラフィックスやってたところがあるから。その感覚は今でもずっと残ってる感じです。

松永:
ミニマルな要素でどうやってトンチをやるかみたいな所とか、CG とかも真面目にやると重いから、なるべく軽くどうやったら変になるか、とか。そういう面白さは僕も好きですね。

荒牧:
松永さんは Vimeo とか見てました?

松永:
学生の時は Vimeo はほとんど見ていなくて。今回、ルーツ的な話をお互いしてみたいなと思ってたんですけど、荒牧さんも学生 CG コンテストに出してましたよね。

荒牧:
出してました。

松永:
釣部も最初は学生 CG コンテストだったんですよ。当時はモーションデザインとかじゃなくて。実写で木とか切ってセット作って、みたいなホームセンター系の映像を作ってたんです。学生 CG コンテストって今は名前が変わって NYAA っていうのになったんですけど。あれぐらいしか、マジで何でもありな「天下一武道会」みたいな存在がなくて。

荒牧:
俺もそこで大橋 史さん、植草 航さん、ひらのりょうさんたちと初めて知り合いました。

松永:
映像もインスタレーションも何でもあり、全部並べて一番強いやつが優勝、みたいな。それに憧れたというか。その時作ってた作品もいわゆる大喜利コント映像みたいなショートフィルムを作って出してて。ストーリーがありつつ、映像表現というか、やってることの変さというか、OK Go っぽいアプローチしてみたりとか。

荒牧:
あれか、なんかタイトルが特殊な。昨日ちょっとそれも見てました(笑)。

松永:
(笑)本当にお恥ずかしいんですけど。とにかくいろんなことをやってみる、みたいなフォーマットで作って出してたから、卒業した後に「どうしたらいいんだ?」ってなって。文化庁メディア芸術祭ぐらいしか代わりの場所が見当たらなくて、とりあえずそこを目指したんですけど。フィールドが結構細分化されちゃってあんまり他にないというか。映画だったらぴあフィルムフェスティバルとか、ちゃんとした映画系になるし。自分たちの目指してたものをどこに持ってったらいいんだ?となって。一応ショートフィルムを作って、いろいろ VFX 的な要素とか入れてみたりしてたんですが、映画ってすごいむずかったんですよね、いいものを見慣れすぎてるし。ちゃんと見てられる映画を作るって難しいかも、みたいな。人に演技とかもしてもらうので、そういうコントロールも難しいというか。

荒牧:
いや、むずいですよね。

松永:
いったん映画をストップして。その時、ミュージックビデオとかちょこちょこいろいろなお誘いを頂いて、それらをやりつつ。ミュージックビデオが「ハマってる」という感じもあんまりなかったですが、「これで完成なんです」って言いやすいというのはありました。

荒牧:
わかります。それこそ、さっき言ってたエラーとかがあっても別に許容されるというか。

松永:
「こういう世界観なんです」っていうことを言いやすいというか。成立させやすいっていうのはいいなと。そこから長谷川白紙さんのインタビューの映像とか、一応あらすじみたいなタイムラインはあるけど映像表現をやってる、みたいなのが割とうまくまとまって。一応、映画的なものとかストーリーのあるものと映像表現を組み合わせるっていうことを当初からやってたんですけど、最近やっとそういう形で収束し始めたっていう感じです。この間やってた Who_Is_Pokopea?_展とかも、一応展示ってタイムラインがあるというか。最初にキャプションにイントロがあって、ストーリー的なものがありつつ、物が置いてあって、全体の世界観がある、みたいな。展示もわりとそういうフォーマットに近いなっていうので、楽しかったですね。

荒牧:
なるほど。自分も大学で映像サークルみたいなのに入ってから映像に興味を持ってやり始めたんで。最初ショートフィルムみたいなの撮ってたんですよね。

松永:
あの女子のやつ?

荒牧:
そう。あれはまだ成功例なんですけど(笑)。とはいえ、自分が入ってたのはちゃんと映像を作ろうみたいなサークルでもなかったんですよ。新歓の時期に毎日夜中までずっと飯を食わしてくれるサークルで。家帰ってもやることもないし、そこで飯食ってたらいついちゃって。サークルで半期ぐらいごとに映像を出すイベントみたいなのがあって、そこに向けてショートフィルムとか撮ってて、「うーん、イタいな」と思いながら(笑)。別にみんな演技したくてそのサークル入ってきてるわけでもないから。

松永:
まあ、そうなりますよね。やっぱ人の演技の映像ってめちゃめちゃむずいですよね(笑)。

荒牧:
めっちゃむずい(笑)。人に演技させた自分の映像を見て、「さすがにちょっと辛くないか?」みたいになっちゃって。その時にさっき言ってた Vimeo だったりの動画プラットフォームが出てきて、そこでモーショングラフィックスを見るようになって「これだったら人出ないしいけるかもしれない」って(笑)。自分で全部できるかもしれない、と思ってモーショングラフィックスを作り出したのが最初でした。その後、モーショングラフィックスと実写を融合させた映像をチームで作って学生CGに応募して、個人でもモーショングラフィックスの映像を作ってvimeoにアップするうちに徐々に映像が仕事になっていきました。。

松永:
じゃあ一回、挫折じゃないですけど、「こっちはちょっと危ねえな」みたいなのはあったってことですよね。

荒牧:
そうですね(笑)。俺、大学も東京都立大学で社会学とかやってたんで、周りにモーショングラフィックスやってる人なんて誰もいないんですよ。

松永:
それ、詳しく聞きたいんですけど、映像サークルは東京都立大の中に?

荒牧:
大学内にあった映像サークルで、名前が「放送研究会」っていうんですよ。で、放送を研究してるって建前なんで、うちらは映像作ってるんですけど、ラジオドラマとかを作ってる他の学校のサークルとかもあるんですよ。で、交流のためにたまに他校の発表会にも行ったりして。。言い方は悪いけど、声優のワナビーみたいな人たちがやってるラジオドラマとか、「いや、これはなかなか…」と思いながら。でもその分結構ゆるくて、それがおもろかったんですけどね。

松永:
アニメとかサブカルに精通してる人がいっぱいいたとか、そういうのはなかったんですか?

荒牧:
自分がすごい影響を受けた先輩はそういう人だったんですけど、大半は「普通の大学生」っていう言い方が正しいのかわかんないですが、音楽とかも流行ってるものを聞くし、その当時はアニメも今ほど市民権得ていなかったんで見ている人はほとんどいなかったですね。動画を上映する身内のイベントがあるって聞いて行ったら、ウイイレの対戦動画を流し始めるやつとかいる感じで。

松永:
そんなに系統立てて文化を掘るような感じじゃない?

荒牧:
文化資本があまり高くない感じではありましたね(笑)。でもその中で何人か面白い人がいて、大学にインダストリアルアートコースっていうのが自分が入る一年前にできたんですよ。新しい学部の初年度に入ってくる人って、結構おかしい人が多いんです、やっぱり。

松永:
一期生はダウンタウンみたいなやつが来る(笑)。

荒牧:
サークルにもそのコースの人が何人かいて。うちのプロデューサーやってくれてる人も、そのコースの卒業生なんですけど。そういう面白さに結構影響を受けて。俺、中高生の時はマジで田舎の中学生・高校生をやっていたんで。全然デザインだったり映像とかにほとんど触れてなくて。音楽とかも流行ってる BUMP OF CHICKEN だったりとか、ELLEGARDEN とか、そういう延長の音楽を聴く、みたいな感じだったから。

最近オフィスを洗足に移したSIGNIF。この辺りはゆるさが丁度いいとのこと。

宮台真司と涼宮ハルヒ

松永:
それでいうと、エウレカとかエヴァとかっていつ見てたんですか?

荒牧:
高校の時に見たアニメでノイタミナ枠で放送されていた『モノノ怪』っていうアニメはすごく記憶に残ってるんですけど。他のアニメってほとんど見た記憶なくて。自分が入っていた学部が「都市教養学部」っていう、文系のとりあえず広いことやりますよ、みたいな学部で。そこから社会学とか心理学とか、いろんなコースに分かれてる、みたいな感じだったんですよ。、1年生の入学したての頃にコース毎のさわりみたいな授業があるんですけど、社会学コースの授業を任されていたのが宮台真司という教授でした。その宮台さんの授業を受けたら最初に流されたのが『涼宮ハルヒの憂鬱』で。

松永:
そんな感じなんだ(笑)。

荒牧:
「これが今の最先端のセカイ系だから、みんなわかるよね」みたいなテンションで話してくるんですよ。それまで全然アニメとかちゃんと見てなかったから。まず社会学っていうのをやるためにはアニメ見なきゃいけないのか、みたいな誤解をして。

松永:
サブカルチャーを前提知識として持っておかないとダメなんだ、みたいな。

荒牧:
まだその時ってあんまりカルチャーに触れてもいなかったんで、サブカルチャーってジャンル自体もよく分かってなかったですね。とりあえずアニメ見なきゃいけないのかなと思って。そこからいろいろアニメを見だして。その時はニコニコ動画とかいろいろ出てきて映像コンテンツがめっちゃ盛り上がった時期だったので、普通に摂取するのがすごく面白くて。TSUTAYA とか行っていろんなアニメを見て、みたいなことやったり。社会学はカルチャーを知ってないとダメだよね、みたいな感じのところからアニメとかちゃんと見たって感じでしたね。

松永:
なんかすごいです。そういう道順なんですね。

荒牧:
自分はそうですね。だから有名なアニメ作品を見たのもかなり遅いと思いますね。その時期にめちゃくちゃ圧縮して見たんですよね。「エヴァ」も『攻殻』も『エウレカ』もそうだし、そういうのを同時期に一気に見る、みたいなことやって。作画 MAD とかも出てきた時代だったから、そういうのを見て、「アニメーションっておもろいんだな」ってどんどんハマっていきました。。

松永:
確かに、ニコニコ動画とかで結構上がってましたよね、作画 MAD。そういうのを見てプロダクション I.G 系のアニメーターの方とか、ガイナックス系のレジェンドの方々の MAD とかを見てました。本編知らないのにそのシーンだけ知ってる、みたいな(笑)。

荒牧:
でもちゃんと本編も見なきゃいけないかなと思って。MAD見てすごいと思った作品の DVD 借りて見る、みたいなことやってましたね。その経験が実際どこまで生かされてるのかわかんないですけど、作画 MAD とか見てるとケレン味がすごい付いてるアニメーションが多いから、うまくモーショングラフィックスに生かせないかな、とか思いながら見てた記憶も結構あります。日本のサブカルチャーはニコニコ動画とかがあったけど、モーショングラフィックスのコミュニティって当時だと Vimeo だけで。あと Stash だったりとか、メディアはあったんですけど。モーショングラフィックスのコミュニティだと海外の人たちの作ったものがすごい多かったから、そことどうやって差異を作っていったらいいんだろうと色々考えているときに、アニメの存在は自分の中では大きかったです。

松永:
昨日ムサビに行ってて。山崎さんって専任の先生がいて。その方にお声がけ頂いて今ムサビの非常勤をやってるんですけど。明日 SIGNIF の荒牧さんとお話するんですよっていう話をして、「いいですね!」みたいな。荒牧さんって宮台真司ゼミだったの知ってますか?って言ったら、「え!?」みたいな。「それ、なんかどっかに出てますか? その情報!?」って。

荒牧:
ほとんどメディア的な残るものでは言ってないかもしれない。自分はあまりにも出自的に仲間がいなくて、初期のころはすごい孤独を感じてました。みんなムサビとかタマビとか卒業で、いいなと思いながら。

松永:
それでいうと、そのアドバンテージって何かありますか? 自覚的な。

荒牧:
いや、俺はディスアドバンテージだと思ってたから(笑)。でもアドバンテージだなって思うところがあるとしたら、自分はずっと外部であるなっていう感じがずっとあるんですよね。だから、それこそさっき言ってたみたいな、業界の標準ルールみたいなのに乗っかるか乗っからないかも「まあ外部だから完全に乗っからなくてもいいか」みたいな気持ちになれるっていうところもあるし。あと映像の考え方も、美大がどれぐらい形式立てて教えてるのかわかんないんですけど、自分はかなり独学だったんで。その分「前提から考える」みたいなことはやるようになった気がしますね。社会学の影響もあって。宮台真司がよく「社会学って前提を遡っていく学問だ」みたいな話をしてて。社会のルールがあります。じゃあその前提になってるのはこういうことで、こういうことで、みたいなのを分析していくのが社会学の面白さだよね、みたいな話をしてて。だから映像のフォーマットだったりとか、そういうのが当たり前のものじゃなくて、今フォーマットとして存在しているように見えるだけで、変えることができるものなんだなっていう認識がずっとあるんですよね。そこの認識が、純粋に映像を始めた人とはちょっと違うっていうのは、アドバンテージというか、違いを生みやすいところの一個にはなってるかもしれないと思います。

デスクに座る荒牧さん。(ちょっとデスクに座ってるところを撮らせてください、と無理やり座って頂きました)

直近では「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」にてモーショングラフィックスとして参加されていました。

「自分の立ち位置と生存戦略」

松永:
事前質問に「自分の立ち位置を考えているか。それが作るものに影響しているか。」って書かれてるじゃないですか。一発目にこれが出てきてど真ん中すぎてちょっと笑っちゃったんですよ。どういう意図で書かれてますか? 

荒牧:
最近SIGNIFの社員と話していて、あんまり自分が今どういう立ち位置にいて、俯瞰的に見てどこにポジショニングされてるかっていうのを意識して作ってる人ってあんまりいないのかもなって単純に思ったんですよ。自分が作ってるものが外部からこう見られてて、こう評価されてるんだろうなっていうのを想像しながら、それとどう距離を取っていくか、みたいな考え方をしてる人って意外と少ないのかもなって思ったんですよね。で、松永さんが作ってるものとか、結構考えてそうだなと思って。WOW のレガシーとの距離感もそうだったんですけど。そこってやっぱり意識してやってるとこあるのかなっていうのを聞いてみたかったっていう。

松永:
僕は生存戦略でかなり構成されてるんで、その相対的な立ち位置のゲームをずっとやってしまってますね。

荒牧:
やっぱり。いや、そういう感じがしたんですよね(笑)。俺も結構それに近いところあるから。

松永:
でも、本当にこれで合ってるのか? とは思ってもいます(笑)。

荒牧:
生存戦略の取り方が戦略として正しいのかわかんないという事?

松永:
というより、自分が得意なことをやるっていうのと、得意じゃないけど好きだからやり続けるっていうのはどっちも尊い事だと思ってて。でも僕は「得意じゃないけど好きだからやり続ける」ってことはできないタイプというか、すぐに「こっちに行ったらやべえぞ」っていうセンサーが働いてしまう(笑)。自分が独立できるようなポジションを探すために、移動していってしまうところがかなりある。自身のキャリア的にも多分そうだし、釣部というものの見え方というかブランディングも。そんなにコントロールできてるかわかんないですけど、やっぱりちょっと変なところに常にいないと流されてしまうんじゃないか、というのはずっとあって。それこそ AI とか、いろいろ潮の流れが激しい中で存在をちゃんと示すためには、他者との相対的な立ち位置っていうのは常に探さないとやばいな、という感じでずっといてしまってますね。

荒牧:
でも相対的な立ち位置だけで考えだすのもやばいじゃないですか。芯がふにゃふにゃになっちゃうというか、本当にポジショニングゲーだけやっているのも面白くないというか。

松永:
主体性がない感じですよね。

荒牧:
そこってバランス取るのってむずいなとも思う。そこら辺のポジショニングの取り方のスタンスは似てるのかなと思ってたんですけど。

松永:
荒牧さん的にはどういう感じですか?

荒牧:
映像とか作って疲れてくると、「なんで俺これやってんだろう?」みたいに結構なること多いんですよ(笑)。これ続けてどんな意味があるんだろう? みたいな。その時に、今自分ってどういうふうな見られ方してて、何を求められてんだろうな、みたいなことを考えて。でも求められてることばっかりやってても、将来的にそれでいいのかとも考えてしまうし。自分が作る意義をどこに置けばいいのか、一回メタに立って考え直す、みたいなのを年に二、三回定期的にやってる気がして。それで常に自分のポジショニングを確認しながら進む道を決めてる、みたいなとこがあるんですよね。去年いろいろ自主制作をやったのも、あまりにもアニメの人になってないか? っていう気持ちもあって。多分自分がアニメに参加する良さというか強みって、やっぱり外部の存在であって、モーショングラフィックスなり CG 的な表現手法や考え方を輸入してくることができる存在であるっていうのが、特異性があるポジションだったはずなのに。徐々にアニメの中の人になっていった瞬間に特異性っていうのはどんどん失われていっちゃう。自分自身、単純にアニメを作るだけっていうのも面白くなくなっていってしまうし。だからもう一回モーショングラフィックス的な表現を自分なりに作ってみて、自主制作の部分で距離を取ってみよう、と思ってやったところがあります。

松永:
荒牧さん自身の作家性というか、スタイルがまずあって、それをアニメに要素として取り込む構造に戻すというか。

荒牧:
少なくとも一回ちょっと離れないと、アニメの中の自分の距離感みたいのがわかんなくなっちゃうっていう感覚があった感じはしますね。

松永:
自分のアドバンテージを俯瞰して見てるっていうことですよね。

荒牧:
ある程度しっかりできてる人はみんな考えてるのかもしれないですけど(笑)。立ち位置というか、自分自身である程度独立しているデザイナーなりディレクターなりとしてやっていこうと思った時に、考えることは必須なパラメーターな気はするんで。

松永:
お願いされる理由がなくなっちゃいますよね、きっと。看板みたいなもんというか、「こういうバリューがあります」っていうのを出せていないと。

荒牧:
でも世の中にはそういうのを出さずに、粛々と職人として CG を作ってる人たちもいるし会社もあるわけじゃないですか。

松永:
でも荒牧さんの「つまんながり」っていうか、それを持ってる人は全員じゃないというか。僕も多分一緒で、それこそ「異質」って言い方だと良く言い過ぎてるかもですが。

荒牧:
まあね、違和感を持っちゃう人たちが外部として存在していることは、重要なのかもしれない気がしますけどね。

松永:
それを自覚して商材化できてるのは、一応うまくできてるっていうか。自覚せずに「なんかつまんないんだよな」って言いながら色々やってるとしんどいじゃないですか。グラフィックデザイナーは多分 10 年前ぐらいは「引き出し多くあれ」みたいな教育がされてたというか、映像もある程度同じだと思うんですけど。とりあえずいろんな仕事をちゃんとできるようになるべき、という。僕はそういう教えに正しさを感じてたんですけど、一方でめちゃくちゃなことがあんまりできなくなったなという自覚もあって(笑)。引き出しを増やすためにいろんな仕事をやったことで、逆にセーフティーがかかる部分もあるというか。今は、わりと同じスタイルだけでやってる人が、それを目当てに依頼するっていうパターンが結構増えてるような気がして。ファミレス形式ではなく、メニュー 1 個、みたいな。

荒牧:
それは羨ましいなっていう気持ちになりますよ。俺は。

松永:
その方が今の生存戦略的に有利なのかなとか。まあ、ちょっと先またどうなるかわかんないですけど。自分的には形をちゃんと保つように、あんまり融通を利かせすぎないというか(笑)。そんな風にしたいなとは思ってます。

荒牧:
俺も「何でもやる」側なんで、そういう、ある意味作家性がある人は羨ましいなっていう気持ちにもなるんですけど。それこそ生存戦略的にそれでいけるのかどうかは、自分がその立場だったら不安だなっていう気もするんですよね。

松永:
博打というか、当たればいけるし外れればそのまま死んでいくっていうやり方(笑)。

荒牧:
この前ちょっと平岡さんとも話してたんですよね。平岡さんの、あのアニメーションの感じって唯一無二だと思うんですけど。その平岡さんでも AI が出てきて「もうどないせえっちゅうねん」みたいな感じだったから(笑)。あそこまで強度を持ってる人でもそんな風に感じるんだと少し驚きました。自分はあんまり表現の手法とか、そういうので作家性を出すっていうのを諦めてる部分があるんで、それよりは、さっき言った天邪鬼っぽさというか、面白い解釈をしてやっていく方法論の方で頑張っていくしかないかなっていう。AI とか出てきても、なんとかその方法論でいけませんかね? みたいな気持ちでいます。

松永:
僕もわりと「AI でやらなそうなこと」とか。結局立ち位置をずっと考えてるから。そうなった時に、じゃあ逆にこっちかな? みたいな感じで考えやすいというか。SNS の話も一緒で、みんなが同じことをやった時に、違うことをやると目立ちやすいというか。立ち位置を考えやすくはあるのかな?とは思います。

荒牧:
作ったものの内容で目立てるのなら、まだ全然いいなと思うんですよ。この前、三宅香帆って書評家の方がポッドキャストで、今って本を書く人は、自分自身をタレント化しないと、本を書いてるだけだともう無理、みたいな。ある意味、自分自身をタレント化していかないと——

松永:
推し活的な、その人が書いてるから好き、っていう感じ。

荒牧:
一人で電通みたいなことをしないと売れないんですよ、みたいな話をしてて。もちろん映像っていうのはクライアントワークの仕事だったりするから、そこまでタレント化する必要ってないかもしれないけど。いろんな業界の人が全員 YouTuber 化しないと生きていけないってなったら、作ってる側の立場からすると職人的な気持ちもあるんで、タレント化が必須条件になっちゃう辛さって絶対今後あるよなって思っちゃったんですよね。

松永:
作品の良さで勝負できるのがこの世界の良さだったのに。

荒牧:
そうすると関西人が強くなっちゃう。しゃべりが面白い人が勝っていくんだったら、関西人有利じゃない? っていう。

松永:
結局「ニン」がないといけないのかいって話になっちゃうってことですね。ギャグが必要に。

荒牧:
時代の流れとしてある程度仕方がないのかもしれないけど。あんまり自分が目指してる未来でもないなっていう感じはする。関西人からすると「俺たちの時代来た!」ってなるのかもしれないけど(笑)。

松永:
関西人は多分「関西が今アツい!」って言ってますね(笑)。

全編では、さらに二人の共通点と違い、関西と関東の感覚の差、色や造形のルーツをどう自己分析しているか、などお話しています。さらに荒牧さんが参加していた『シン・エヴァンゲリオン』やスタジオカラーとの制作話などの貴重なお話も。ぜひお聞きください。

第一回は「外部性」と「距離感」をめぐる、充実したトークとなりました。

荒牧さん、ありがとうございました!(合計3時間くらい話してしまいました)

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