シーズナル作品枠ということで、「二子玉川」と「秋」のテーマだけ頂き、あとは自由。制作時期が夏中盤の微妙なタイミングだったので、「もう秋あるかな?」と思いながらも、取材をしないと始まらないので行ってみることにした。

田園都市線と大井町線が交わる二子玉川駅
以前、大井町線沿いに住んでいた事もあり「ニコタマ」は割と親しみがある。現地の方々は「フタコ」と呼ぶらしいが。

駅の改札を出ると左手に玉川高島屋S.C.と巨大なキューブが目に入る。ちょうど放映されていたのは映像作家・岡本斗志貴さんの作品。彼も二子玉川をテーマに制作されていたので、「なるほど、先に色々やられているな」と思いながら眺める。
キューブは面で構成されているが、実際に見ると物体感が強い。カットのある映像よりも、抽象的なオブジェクトとして扱った方が良さそうだな、と感じる。キューブの周辺は展望台のようになっていて、かなり間近で眺めることもできる。こういった大型映像メディアは遠景で見る前提のものが多いので、不思議な距離感だ。
屋上庭園のカフェはロケーションが良いが人が少なく、のんびりするには穴場な気がする。
キューブをひと通り観察したあと、そのまま周辺の街を散策することにした。

玉川高島屋S.C.の裏手には飲食店が密集し、タイルやレンガの路地が続く。小さな区画だが丁寧に舗装され、整っている。しかし、二子玉川全体の中で、ここは少しだけ空気が違うように感じていた。


というのも、個人的に二子玉川は、「二子玉川ライズ」という巨大な宇宙船が駅に接着している「整った箱庭」という印象が強い。河川敷の公園も商業施設も過不足なく揃い、自由が丘・深沢・等々力の高級住宅地の空気と、イオンモール的な庶民感が同居している。生活の快適さのために整理された、人工的な街だという感覚がある。

その中で、この高島屋裏手はわずかに雑多さや温かみが残っている区画だ。歩きながら、レンガの質感やオレンジの色味が印象に残った。

今度は駅の反対側、二子玉川ライズへ向かう。白と青の高架が駅の両側を区切っており、その上を田園都市線と大井町線が走っている。

巨大なガレリアでは毎週末イベントが行われ、家族連れで賑わっている。マルシェが何か正確に分かっていないが、絶対に普段マルシェ的なことをやっていると思う。

さらに奥へ進むと、蔦屋家電や109シネマズがあり、人間の休日に必要なものはひと通り揃っているのではないかと思うほど。ここの109シネマズでは映画前に毎回メルセデスベンツの代理店の広告が流れる。確かにこの辺りはベンツが本当にたくさん走っている。映画の帰りにベンツでも買っていくか、となるのだろうか。

遊歩道を進むと、二子玉川ライズタワー&レジデンスタワー、いわゆるタワマンがそびえている。川沿いで周囲に高い建物が少ないため、白いタワーの高さと頭上に広がる空の大きさが際立つ。歩きながら、「空が広い街だ」と改めて気づく。

さらに進むと河川敷に出られるのだが、その手前で唐突に日本庭園を発見。帰真園というらしい。改めて箱庭感がある街だ、と思う。

多摩川の手前には、個人的に近辺で一番ロケーションが良いと思っている「スターバックスコーヒー 二子玉川公園店」がある。ここでは、それぞれが「ただそこにいる事」を目的に過ごしているような感じがして、いつも雰囲気が良い。

しばらく河川敷付近を散策する。まだ日差しも強く、秋というよりは夏後半といった感じたが、色彩は少しずつ緑が赤茶色に移行している気がした。



河川敷に沿って高島屋側とライズ側を何度か往復するうちに、日が沈んできた。
少し冷たい風が吹く中、高い空と夕日が水面に強く反射し目に刺さる。「秋」を見つけた気がした。



大階段では、夕日を見ながら思い思いに過ごす人たちがいた。

一度帰宅し、どのような作品にするかを考えながら、今日の風景をCG上でスケッチする。「なんかこんな感じだった気がする」と思いながら構成してみる。

マテリアルやエレメントを収集して再構成する。あまりバラバラにするとまとまらず、色味の印象で固める事にした。高島屋裏と夕方のオレンジ、河川敷と陸橋の緑、高架と空とマンションの青と白。たまたま大井町線と田園都市線のカラーにもリンクし、ちょうどよいと思った。足りないマテリアルがあったので、その後何度か足を運ぶことになる。

3Dで投影イメージの検証
通常、LEDのような装置は外から持ち込まれたコンテンツを放映するもので、周囲の風景からすると異物だ。しかし、その場の風景を編集してLEDに戻すことで、装置そのものが空間に開いた風穴や特異点のように見えてこないだろうか。
これまでは周囲のエレメントを収集して再構成するところで終わっていたが、再び元の風景へ返すことで、再構成そのものを「現象」のように見せることもできるのかもしれない。
都市の要素を分解してパターンのように扱っていくと、徐々に迷彩柄を作っているような気持ちにもなってくる。現代の都市迷彩はこんな感じなのかもしれない、などと思って戦車に張り付けてみたりした。

以前、荒牧さんから「エレメントをネタとして扱っている感じがする」と指摘されたことがあり、納得感と同時に、無意識に表層的な「あるあるネタ」として扱ってしまっている気もして、うーん、と思った。
個人的には、あるあるネタを楽しんで大喜利をしている部分もあれば、見え方をズラして違うものや抽象的に見せたい、情景やフォルムの奇妙さを際立たせたい、という思いがある。
作為的に手を加えたりキュレーションしたものが、最終的に「現象」のように見えると面白い。少しユーモアのある超常や怪異のような。自分の手を離れ、そういったものへ変質していく瞬間が面白いのだと思う。

ORANGE

BLUE

GREEN
いつしか、制作や作品を完全にコントロールしようとあまり思わなくなった。釣部東京での集団制作によるアンコントロールさに慣れた影響も大きいのかもしれない。
昔から球技が下手で、ドリブルをしようとしてもボールを全くコントロールできず、逆に転がっていくボールを追いかけてしまう事がよくあった。その時に見つめているのは周囲の光景ではなく、転がるボールだけ。気づいたら、よくわからない場所にひとりで立っている。
今もそれに近い感覚があり、制作や作品に自分が振り回される感覚になる事がある。もちろん、綿密に計画して実行している部分は多いし、あまりに道を外した時は強制的に筋力で戻す。しかし、それ以上に予想外のところへ連れていかれる未知な部分を期待し、楽しんでいる自分もいる。



今回も、完成したものが街にインストールされたのを見て、「ここは良いな」とか「ここはもっとこうだったな」と思ったりはしたが、すでに自分の手を離れ、勝手に存在し始めているような感覚もあった。
知人から作品を見たとの連絡があり、「そこだけバグってるみたいだった」というコメントが嬉かった。

中でも「緑」は異様な存在感を放っていて、気に入っている。
